カナダ物語97部

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Mar 29, 2011 09:15
カナダ物語97部
178ページから179ページ
西の方へ(第一部)

コンフェダレーシオン(カナダ連邦)の作る人々は、大西洋から太平洋までのカナダ連邦を拡大するつもりでした。オンタリオ州の農家は、カナダ連邦が西の大草原を併合して貰いたかったです。もしカナダ連邦が西の方へ拡大しなければアメリカ人が入るかなと心配しました。そうなると、カナダが栄えないでしょうか。コンフェデレーソンの誕生日から、かろうじて一年間後、[カナダの政治家]ジョージ・エチエヌ・カーチエ氏は、カナダ連邦の代表としてロンドン市へ出発しました。カナダ政府は、1670年からずっと所有しているハドソン・ベー会社からRupert's Land (毛皮交換縄張りの広々なルーパートという土地)の購入権を交渉しに行きました。

1869年、ウィリアム・マクドゥーガル氏、前のハドソン・ベイ会社の縄張りというカナダ北西領地に最初の副総督になるために領地中央のレッド・リバー居留地へ出発しました。しかし、マクドゥーガル副総督は、目的地につきませんでした。レッド・リバーのメティ人(フランス系と混ざっている先住民)は、ルーパートの領地の購入を巡って相談されないどころか、自分の居留地がオタワ市の副総督やオンタリオ州の開拓者に支配されることを許さないことにしました。ルイ・リエル氏と彼によって新しく作られたレッド・レバー会議は、速く措置を取りました。馬に乗るメティ人は、マクドゥーガル氏がメティ人の縄張りに入らないようにペンビナという場所まで途中で阻止しました。それから、レッド・リバー居留地の中央にあるベイ会社のゲリー要塞を取りました。レッド・リバー会議は、レッド・リバー居留地の人々のためにカナダ政府と交渉しなければならないと主張しました。たくあんの支持者が集まりました。レッド・リバーの“混ざっている血”の英語をしゃべっている開拓者も、だんだん彼を支援しました。

リエル氏は、25歳で茶色ぽい肌でふさふさな顎鬚を伸ばしてがっしりした男の人でした。モントリオール市から帰ったばかり情熱的に自分の人々のリーダーになりたかったです。彼は、レッド・リバー会議の要求をオタワ市まで送り出しました。レッド・リバー居留地は、州としてカナダ連邦に参加することが必要だと主張しました。国政府は居留地の住民と相談しねばならないし、メティ人の[フランス語の]言語と[カトリック教徒の]の宗教を保証しねばならないと。

リエル氏の強い行為は、[総理大臣]マクドナルド氏がカナダ政府による併合する計画をやめました。すぐに、レッド・リバー居留地は、オタワ市から経営される領地じゃなくて普通の州のようにカナダ連邦へ入ると合意しました。メティ人は勝ったようでした。しかし、レッド・リバー居留地には、英語をしゃべっているプロテスタント教徒の開拓者の中で、ある人は、フランス語をしゃべっているカトリック教徒のメティ人の支配を許さないことにしました。彼らは、レッド・リバー会議を無視して会議権に背くことにしました。その人の一人トマス・スコット氏は、リエル氏の命令下に銃殺部隊によって撃って処刑してもらいました。

絵の上:ルイ・リエル氏は、1869年、彼によって作られたマニトバ州の暫定州会議の中で座ります。1870年、カナダ軍隊がマニトバ州に着くとリエル達はアメリカ合衆国の境を越えて逃ることになりました。

絵の下:レッド・リバーでは、ルイ・リエル氏のメティ人の政府がオンタリオ州から来た暴力者トマス・スコット氏を処刑というニューズは、英系カナダにショックでした。この版画は、カナダ絵新聞で掲載されました。この絵は、冷酷な人殺しを描写します。この絵のために、たぶんたくさんの読者はスコット氏のかたきを討つとリエル氏を滅亡することに励まされているでしょうか。

地図:ルーバートの領地。1867年、カナダの誕生日の同じの年で、カナダ政府がイギリス政府から購入しいました。