カナダ物語96部

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Mar 28, 2011 09:53
カナダ物語96部
177ページ
トマス・ダシー・マギー市

1850年代までアイランド人は,もう数十年カナダに移民しました。あるアイランド人は, お金持ちの農家や商人でした。ところが、他の人は飢えっている避難者でした。1848年のジャガイモ飢饉は酷かったから移民の船で出国しました。他のアイランド人はイギリス軍隊と戦ったから国を逃げなければなりませんでした*。その人の中でトマス・ダシー・マギー氏がいました。モントリオール市に住みつくと、カナダは、カトリック教徒のアイランド人のためによい国だと思いました。アイランド系カナダ人のリーダーになりました。オタワ市の国会の議員に当選しました。

*1921年までアイランド島は、全部イギリス領土でした。数百年間イギリス政府と戦うアイランド人の愛国者の軍団がありました。

政治家、ジャーナリスト、歌詞マギー氏は、カトリック教徒もプロテスタント教徒もフランス系やアイランド系やイギリス系など一緒に暮らして自慢的に新しい国を分けることを想像しました。“未来に二つの大洋の間に素晴らしい国を見ることができます”と主張しました。マギー氏は、カナダ連邦の予言者になりました。

たくさんの人は、マギー氏の言い方によって説得されました。しかし“フェニア人”は、彼を大嫌いでした。フェニア人は、イギリス人と戦うアイランド人でした。アメリカ合衆国に住むフェニア人が、イギリスを損なうためにカナダを攻撃しました。しかし、マギー氏がアイランド系カナダ人をフェニア人に入らないように励ましました。アメリカ国境の北の方ではフェニア人の支持はほとんどありませんでした。1866年、アメリカ合衆国から小さい襲撃をしたフェニア人を成功に反撃して追い出しました。1867年のコンフェダレーシオン(カナダ連邦)の後、一年間以下、マギー氏が一晩中の国会の会議から下宿屋まで歩いて帰りました。加害者は影から現れてピストルを彼の頭に目指して撃ちました。マギー氏がス木材のパークス街路の上で死んで倒れました。フェニア人=パット・ウィーラン氏は、コンフェダレーシオンの最初殉教者に裁判で有罪の評決が下りました。ウィーラン氏は死ぬまで無罪と主張しましたが、オタワ市のニコラス街路で絞首刑になりました。それは、カナダに公の絞首刑が最後でした。*

*カナダには、全ての死刑が1960年代で終えることになりました。
写真:トマス・ダシー・マギー氏