カナダ物語95部

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Mar 27, 2011 22:26
カナダ物語95部
174ページから177ページまで

コンフェダレーション・ディー[カナダ連邦の誕生日]

*1867年7月1日は月曜日でした。新しい国には、どこでも晴れでした。朝日で、すべての要塞と軍艦のカンノンが礼砲で撃たれました。(*その日はカナダ連邦が生れました。現在のカナダと違いました。最初のカナダ連邦は四つの州しかありませんでした。地図をご覧ください。)教会の中でもお祝いになって数百の町でもパレードは進めました。[ノバ・スコシア州の]ハリファクス市、[ニューブランズイック州の]セイント・ジョーン市、[ケベック州の]サン・ヒカンット市、[オンタリオ州の]サーニア市で、ブラス・バンドや市民軍団や地元のクラブは喜んで進みました。[オンタリオ州の]キングストン市で祝っている市民はクリケットをしました。[オンタリオ州の]バリー市で湖の上でヨット競争が開かれました。[オンタリオ州の]ダンビル市で、競馬がありました。一軒一軒の家は花や旗で飾られていました。Confederation(カナダ連邦)の祝いのために、どこにでも、大かがり火、花火、ピクニック、スピーチがありました。

しかし、皆は祝うというわけではありませんでした。コンフェダレーションに反対者は黒旗を翻しました。若いケベック人=ウィルフリッド・ロリエー氏は、コンフェダレーションを公に非難しました。ケベックのためによくないと主張しました。(後で気持ちが変わると総理大臣になります。)ジョセフ・ハウ氏も1867年にコンフェダレーションへ反対しました。しかし、後でジョンA.マクドナルド氏の政府に参加すると、ノバ・スコシア州のために戦い続きます。ニューファウンドランド植民地は1949年までカナダ連邦に入らなかったが、プリンス・エドワード島植民地は1873年にカナダの州になりました。メルシ・アンヌ・コールズ氏[首相の娘]は、やっとカナダ人になりました。

トロント市で最初の“ドミニオン・ディー”[カナダ・ディー]のために人々は、歌を歌ったり花火をやったりしました。ジョージ・ブラウン氏は、グローブ[地球]新聞の事務所で一晩中働きました。もう一年間政治をやめました。コンフェダレーション予定が出来たから、退職してもいいと思いました。それから新聞でカナダ連邦の物語を書きました。7月の1日の朝日で“新しい国に三唱万歳!”と書きました。

首都オタワ市で、*総督モンク爵は、カナダの最初の政府の内閣を宣誓就任しました。最初総理大臣はもうビクトリア女王による勲爵士になったサー・ジョンA.マクドナルドでした。その日、総理大臣と総督が兵隊を閲兵したり祝っている群衆に会ったり出ました。

*1867年、カナダはまだ完全的な自立国ではありませんでした。総督はイギリス女王の代表でした。国会儀と総理大臣は議案を可決できましたが、もし総督が議案を好きじゃなければ否決できたでしょう。半分自立カナダはまだまだイギリスの属国とか植民地国家でした。現在、カナダ完全自立国です。総督は日本の天皇みたいのただシンボルだけです。本当の力はありません。さらに、現在の総督はイギリス人じゃなくてカナダ人です。

絵の上
1869年、ニューファウンドランド植民地は、コンフェダレーションに入るかどうか激しく論争されました。反対側は“カナダ狼――来るな!”の歌が歌われていました。反対側のリーダ=チャールズ・フォクス・ベネット氏は、連邦へ入ればニューファウンドランド人がカナダ軍隊に徴兵されると“西の砂漠に骨が捨てられるでしょう”と主張しました。ニューファウンドランド人はベネット氏を首相に選びました。カナダ連邦に入るまでに80年間です。

写真:カナダの最初総理大臣サー・ジョンA.マクドナルド