カナダ物語 第五章 125ページ

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Jan 22, 2014 09:21
レッド川戦争[第一次北西カナダ戦争」

1811年秋、最初のセルカーク侯爵の植民人は、ハドソン・ベイ社の船をチャ―チャル毛皮交換所で降りました。秋は、年の災厄の季節でした。南の方のレッド川に着くまで、旅は苦しくてずっと飢餓を我慢しました。メティ人や[先住民の]ソートー人の救助がなければ生き残れなかったでしょう。ソート―人のペグィ族長が、植民人を南の方へ連れて行きました。子どもはソ―ト―族のポニーの上に載せました。やっとメティ人のバッファロー狩人の土地に着きました。ジョン・バプティストやマリアヌ・ラギモディエー[ケベック州のフランス系カナダ人の移民]も、植民者を相談にのったり手伝ったりした。翌年、さらに多くのセルカーク侯爵の植民人が来ました。その人々にとっても生活はとっても苦しかったのです。

メティ人の家族が貧乏な新カナダ人を助けたのに、セルカーク侯爵のプランを恐れました。ノルウェスター社も同感でした。メティ人は、セルカークの植民人がメティ人にとって自分の土地を取ると思いました。それに、植民地がノルウェスター社のボヤジュールの道を邪魔しました。ノルウェスター社はセルカーク侯爵の植民地は本当にハドソン・ベイ社のせいだと思いました。ベイ社がノ―るウェスター社のカヌー団をアサバスカ台地に着かないようにすることや、メティ人狩人がぺミカン[バッファローの肉]を買うのを防げることなど、すべてベイ社の陰謀だと思われたのです。

セルカーク侯爵の植民地の運命は災厄ということだ。収穫物は失敗し、食糧は不足しました。それも、植民地がメティ人とボヤジュールを怖がりました。激しい冬を大変嫌いました。ノルウェスター社の人々が、その恐怖につけ込んだ。1815年、植民人にレッド川を放棄して川上カナダ[オンタリオ州]にノルウェスター社のカヌーで移ることを勧めました。セルカークの植民者は躊躇しました。出発しましたが、戻りました。レッド川に残って頑張ると決断しました。

絵の下:
1817年、セルカーク侯爵と植民地と一緒にキルドナン町を創立することです。1811年にチャ―チャる毛皮交換所に着いてからその開拓人たちの生活は大変苦しかったのです。