カナダ物語 第五章 126ページ

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Jan 23, 2014 09:39
1816年6月19日の昼、一団のメティ馬術家は、セルカーク侯爵の総督ロバート・センプルに統轄下にある要塞「ダごラス要塞」に近寄りました。センプル総督と26人と一緒に、メティ人の戦士と対決するために要塞から出陳しました。二つの団は、セベン・オークスという場所で衝突しました。総督の人々もメティ人も武器を出して戦いたかったのです。センプルは、メティ人がカーク侯爵に授与された権限を認識してもらいたいし、メティ人は、自分の土地で部外者から命令を受けるという屈辱に起こっていました。両方は叫び合いながら発砲がされました。センプルの部隊は、メティ人の狩人にかないませんでした。数分後、総督と20人の部下たちは、みな撃ち殺されていました。その夜、一人しか戦死しなかったメティ人は、ダごラス要塞の中で、セベン・オークス戦の勝利を祝って歌を歌ったりしました。

セルカーク侯爵は、遠くにモントリオール市にいました。しかし、再び戦いに挑みました。ドガラス要塞のベイ社の人は、植民地のトラブルについてセルカークを警告するためにジョン=バプティスト・ラギモディエールを東部地域に派遣しました。セルカークは兵隊と一緒に植民地を守るために西部地域へ急ぎました。セルカークは、虐待をモントリオール市の毛皮交換者の責任とし、ウィリアム要塞で北西会社の管理者を逮捕しました。それから、レッド川に進んで支配力を引き継ぎました。

運良くて、二度と虐待は起こりませんでした。次の数年間、植民者もメティ人もバッタ群れと洪水の問題に取り組んで戦うひまがないほど忙しすぎたのです。毛皮交換戦争も終わりました。ノルウェスター社[北西会社]は、ベイ社より毛皮も人々も要塞も多くありましたが、ベイ社はそれ以上にお金持ちでした。1821年、ハドソン・ベイ会社[ベイ社]は、北西会社を買収し、元北西会社のトップを雇い入れました。モントリオール市の毛皮交換は衰えてきました。200年後の今、もやはボヤジュール[毛皮交換者]は、ラシーン町からパイ・オン・オー[カナダ北西森林]へ出発することはありません。すべての毛皮はハドソン湾を手伝って運送されています。

絵の上:
メティ人のリーダー=カトバート・グラントの丸くて優しそうな顔は、偉い馬術家やゲリラ戦士とは違うものです。しかし、1816年のセベン・オークス戦において、メティ人の狩人が開拓者を圧倒したことで、レッド川の植民者は、彼の恐ろしさはっきりと認識することになりました。
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