カナダ物語 第五章 138ページから139ページまで

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Jan 29, 2014 10:06
第六章

「山と海」

山と海の間に北アメリカの北西側のユックウォートという小さな入り江に長くて緑色のケルプが浮いていました。ケルプの間にたくさんのカワウソが泳いでいました。カワウソは強くて上手に泳げし、厚くて黒い毛皮のために冷たい水を感じません。ユックウォートの入れ江の人々は、冬に毛皮が必要の時、カワウソを狩ったものです。ユックウォート人の部族長マッキンナは素敵なカワウソの毛皮でできたガウンを着ました。

1740年ごろ、ロシア人の毛皮交換者はシベリアからアラスカまでの狭い海峡を船で渡しました。デンマーク人の船長ビタス・ベーリングという人がそっけないアラスカの島で壊血病で苦しみながら、死にました。しかし、ロシア国王はベーリング海峡を渡す遠征を送り出しつつある。まもなくアラスカ海岸はロシアの植民地になりました。遠くて寂しい前哨部隊からアルト人やツリンギット人という先住民にカワウソ毛皮をもらって国に持って帰りました。ロシア毛皮交換者のうわさがスペインのメキシコ植民地に伝わりました。1774年にスペイン人フアン=ぺレズ・ハナンデズが調査のために到着しました。上陸すると北西カナダの先住民に会いました。

4年間後、イギリスの海軍将校ジェームズ・コック船長も北西海岸に着きました。1759年、未知の若い航行者として、ケベック市までのセント・ローレンス川の上で英海軍侵略艦隊を導きました。その時から長い年間世界中の海を航行しました。もうオーストラリア、ニュー・ジーランド、太平洋の島々、南極の海に航行しました。今、北アメリカの北西海岸までロシア人とスペーン人のようにつきました。ずっと前の夢の北西航路を探しましたが、今度は反対側から探そうとしました。もし北西航路の入口が霧がいっぱい北西海岸であれば、英国政府が見つけたかったのです。

1778年の春、ジェームズ・コック船長のレゾル―ション(決心)号という船がユックウォート小湾の近く海岸に近寄りました。住んでいた先住民が速くカヌーでそのおかしい“翼がある白い船”に会いに行きました。コック船長はユッくウォートで一ヶ月をすごしました。コック船長の先住民の言語をミスしてユックウォート小湾をヌートカと呼びました。船員が船を修理しながら先住民と話したり交換したりしました。ユックウォート人は船員の鉄の道具がすばらしいと思ったから、道具のためにピカピカのカワウソの毛皮マントを交換しました。

その夏、コック船長はユッくウォートからベーリング海峡まで航行しました。しかし、北西航路は見つかりませんでした。レゾルション号は冬のためにハワイ島までに航行しました。その所でコック船長は先住民と戦い、殺されました。コックの船員は太平洋を航行して中国の広東で中国政府高官はガウンにカワウソ毛皮で飾るためにたくさんのお金を払うとしました。毛布ために少ない毛皮を持ってきた船員はあという間にお金持ちになりました。

前のページの絵:
冒険的な船員ジョン・ミアズは、北西カナダでカワウソ毛皮を買うと中国で売りました。ビジネス・センスが良かったからミアズは中国労働者をつれて帰りました。中国人にノース・ウエスト・アメリカ号という船を築いてもらいました。1789年9月20日、ヌートカでミアズは船を進水します。マッキンナ部長は岸から見ます。

絵の下:
鯨の先住民の狩人は、狩りから帰ります。