カナダ物語 第五章 126ページから128ページまで

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Jan 24, 2014 08:17
[ベイ社の帝国]

1821年、ハドソン・ベイ会社はもう150歳になっていました。そして、ついにモントリオール市のライバル会社との間に決着をつけました。[その年、ライバル会社を併合。]ベイ社の毛皮交換帝国は、[大西洋の]ラブラドルから[太平洋の]バンクーバー島まで広がっていました。1820年、ジョージ・シンプソンは、イギリスからカナダに経営を引き受けにきました。

シンプソンは冷酷な男でしたが、同時に、能率的な営業者でもありました。ハドソン・ベイ社の社長として、毛皮交換世界のトップになると、竜巻のような勢いで西カナダへ向かったのです。個人的に選抜したイロコイ人にプライベート・カヌーを漕がせ、いろいろな要塞を見て回りました。激しい毛皮交換戦争中、ジョージ・シンプソンは、状態が変化すると誓いました。

シンプソンは、収益の上がらない要塞を全て撤廃しました。多くの毛皮交換者とボヤジュールをクビにしました。会社が必要な毛皮だけ買い、安い値段の物にしました。先住民の交換者と狩人にとって生活は苦しくてなっていきました。二つの会社が先住民の支援を舞台に戦争を続けましたが、結局、ハドソン・ベイ社とジョージ・シンプソンの厳しい契約だけが勝ち残りました。

毛皮交換世界では、元ベイ社の激しく対立していた人々を含め皆、ベイ社の人々と協力しなければやっていくことはできませんでした。ジョン=バプチスト・ラギモヂエルは、その状況に大いに満足しました。セベン・オークス戦でメティ人の戦士を導いたカトバート・グラントも、もはやベイ社の雇い人となっていました。毛皮交換者のライバルがいなくなったことにより、メティ人とセルカーク侯爵の植民者との仲は改善されていきました。レッド川を境にしました。レッド川を境として、片側にイギリス開拓者が、反対側にメティ人が、それぞれをそれぞれが自分の土地として住むことになりました。

[バッファロー狩り]

春がくるたび、レッド川の馬車は西の方のバッファローが生息する草原へと向かいました。雄牛はが皮の馬具を引っ張ることで、木材の車輪は、ギシギシきしむ木材のアクセルにより、回り続けました。狩人と家族は、数百台の馬車で大草原の上にもくもくとほこりの雲をあげました。そして、バッファロー狩りが始まりました。熟練したメティ人も、セルカーク侯爵の植民者も、両者共に参加していました。馬車団は、バッファローの群れを見つけると、ほこりの雲や騒音や怖がった動物の中を走りだしました。すべての狩人は馬上から射撃しました。そして、さらなるバッファローを追いかけながら、マスケットの筒に弾と火薬を再装填しました。狩人は、互いに競争しました。狩りは終わると、皆ぺミカン[バッファローの肉から、携帯料理の種類]を作るために生懸命働きました。

春の狩りは、メティ人にとって忘れられない一時でした。男の人と女の人は、馬術家や射撃の技量と勇気がいっぱいな力になり誇りにしました。狩りのリーダーは、メティ人の族長が努めていました。高く積んだぺミカン袋を運ぶ馬車団は、帰る前に宴会とお祝いの席をもうけました。。どの家族にもバイオリン弾きや笛を吹く人がいました。馬車団は、円の中で、踊ったり歌を歌ったりしました。皮ジャケットに飾られたで芸術的なビーズがひときわ輝きました。

しかし、トラブルも起きていました。大草原は人であふれかえるようになってきました。メティ人やクリー人やオジブウェー人など西の方へ行ったからです。どの部族も馬に乗っていたので、すべての草原部族がたくさんの縄張りを必要としていました。馬に乗せた戦士――クリー人、ブラックフット人、オジブウェー人、スー人、アシンニボイヌ人、スネーク人など――は、栄光のためだけではなくて、食糧の原因のバッファローをめくり戦いました。

そして、1830年代、恐ろしいペストが大草原中に横行していました。クリー人の若い戦士サゥカマッピの話によれば、馬で乗ったテントの中へ敵を襲撃しに行った時、皆が布団の上で病気で死んでいるのが見えたそうです。すぐに、サゥカマッピの人々も病気に侵されました。ブラックフット人も感染して病気になりました。三人に一人が亡くなりました。サゥカマッピは、決して、そのような涙と悲鳴の日々を忘れませんでした。

絵の下:
屈強で、頑固で、冷酷なジョージ・シンプソンは、ハドソン・ベイ社に大変化をもたらしました。コストの低下や、要塞を廃止する等の業績を残しました。赤字の会社は、お金を稼ぎ直しました。

絵の下:
ポール・ケーンによる「アシンニボイヌのバッファロー狩り」です。バッファロー狩りのスピードや危険や興奮を見事に描写しています。