新概念作文コンクール・優秀作品鑑賞

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Aug 29, 2015 13:32
テーマ:一枚の布を水をいれているコップに入れる。その布が水に浸かり、徐々に沈み広がるのを見て、作文してください。
〈コップ越しに人間観察〉
まず思いついたのは、人間性である。特に、中国人の下劣な根性である。魯迅先生はそれについてさんざん述べてきた。私には私なりの考え方を持っている。
南宋朝《三字経》に、“人の性は元初、善にある”と書いたように、生まれてばかりの人は、この布のように謹厳、身を慎むことができる;社会という水に触れると、澄んだ水でも、知らずにオジギソウが枝を伸ばすように、従来の謹厳は徐々に解放され、芯まで浸かるのである。
中国人は従来剛直な性格を持っているため、自愛する人も偶にいる。生まれて何十年間持ち続けて、清純でならない。そういった人たちは足を踏み入れていないため、社会に溶け込んでいない。“君子に乏しく”はその通りである。雑文を書くのと一緒である。《雑文刊》、《文匯刊》に醜悪を暴く記事がたくさんあって、読むと気持ちいいが、作者はみんな正義の方だと思ったら、大間違いだ。よく読んでみると、作者自身の憂憤が浮き彫りになる-何で俺は官じゃないんだ、と。もし、時世を批判する人は官になったら、李白のように官を守る立場になるかもしれない。残念なことに、官になりたい人はたくさんいて、とても官を批判しながらも実は憧れる人に順番が回ってくるとは思わない。ゆえに、彼らはますます批判的になるだろう。
ここまでくると、あの布はまるで疲れ果てた人がベッドで背筋を伸ばすように、コップの隅まで広がっている。水に長く漬かったせい、本性が出てくるだろう。私は、中国人が儒家思想である中庸・謙虚のことを思いついた。中国人として、不幸なことに、まず謙虚でなければならない。狂妄な人でも、徐々に謙虚にならないといけない。銭鐘書は狂妄で、彼の導師吴宓、叶公超まで、一人は“頭が悪すぎ”、もう一人は“怠けすぎ”と貶したが、年が重ね、唯我独尊みたいな狂言はもう聞こえなくなった。それは水に漬かった一つの例いである。李傲は、国民党に逮捕されることを免れても、まだましだが、見慣れないものを順番付けて罵倒し、国民党も逃さない。憧れの人はいないかと聞かれると、それは鏡に映る自分だと言う。しかし、こんな文章でも一人の人間でも二十四品以外の反骨精神が溢れる天才は中国に何人いるのだろう。
中国では、物事を大げさに言う人はみんなに白い眼で見られる。私に言わせてみれば、そんなの関係ない。古代纏足の女性を見るが、他の正常な足を見ると“大きい足”とそれぐらいのことである。“大げさの話し”は“大きい話し”と言ってもいいだろう。
しかし、物事を大げさに言う人は幸せにならない向きもある。ゆえに、大げさに言うより黙りに変ってきた。そして、沈黙な人は社会に受け受け入れられる。
ここまでくると、ぱっと布はコップの底に沈んだのを気付いた。
题目:把一块布沉入杯子里,写一篇作文。
〈杯中窥人〉
我想到的是人性,尤其是中国的民族劣根性。鲁迅先生阐之未尽。我有我的看法。
南宋《三字经》有“人之初,性本善”,说明人刚出生好比这团干布,可以严谨的律己;接触社会这水,哪怕是清水,也会不由自主如害羞草谈叶,本来的严谨也会慢慢被舒展开,渐渐被浸润透。
中国人向来品性如钢,所以也偶有洁身自好者,硬是撑到出生后好几十年还清纯得不得了,这些清纯得不得了的人未浸水,不为社会所容纳,“君子固穷”了。写杂文的就是如此。《杂文报》、《文汇报》上诸多揭恶的杂文,读之甚爽,以为作者真是疾恶如仇。其实不然,要细读,细读以后可以品出作者自身的郁愤——老子怎么就不是个官。倘若这些骂官的人忽得官位,弄不好就和李白一样了,要以官为荣。可惜现在的官位抢手,轮不到这些骂官又想当官的人,所以,他们只好越来越骂官。
写到这里,那布已经仿佛是个累极的人躺在床上伸懒腰,撑足了杯子。接触久了,不免展露无遗。我又想到中国人向来奉守的儒家中庸的谦虚之道。作为一个中国人,很不幸得先学会谦虚。一个人起先再狂傲,也要慢慢变谦虚。钱钟书起初够傲,可怜了他的导师吴宓、叶公超,被贬成“太笨”和“太懒”,惜后来不见唯我独尊的傲语,也算是被水浸透了。李傲尚好,国民党暂时磨不平他,他对他看不顺眼的一一戮杀,对国民党也照戮不误。说要想找个崇拜的人,他就照照镜子,但中国又能出几十个这类为文为人都在二十四品之外的叛才?
中国看不起说大话的人。而在我看来并无甚,好比古代妇女缠惯了小脚,碰上正常的脚就称“大脚”,碰上正常的话,理所就叫“大话”了。
敢说大话的人得不到好下场,吓得后人从不说大话变成不说话。结果不说大话的人被社会接受了。
写到这里,猛发现布已经沉到杯底了。