英雄

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Jan 26, 2011 21:08
英雄

去年の2月からこの日記をずっと翻訳したかったですが、日本語がある程度上達してからでないと失礼だと思って遠慮しました。かなり長い日記なので、添削を願っていません。ひたすらご高覧して頂ければ幸いです。

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まさかこの日記を書くなんて、本当に想像すら出来ないことでした。この日記を書くことは、誠に残念でなりません。これは、昨日午後6時40分に他界した、親友のロジャースワンについての日記です。

ロジャーは、僕の個人サイトの客員ブロガーでした。彼は「東京本棚」という、日本の小説を評価する記事を担当してくれました。それに、ロジャーは今やかなり人気となった「東京スワン」という、東京での留学生活についてのビデオブログ、また、より最近の「岩手スワン」というJETの生活のビデオブログの作者でした。ロジャーと僕は多くの点で似たような生活を送ったが、ロジャーは常に手で触れるくらいの温かい優しさを漂わせ、それをもって周りの人を魅了しました。今日、僕が知っていたロジャースワン、また彼が僕に与えてくれた影響について、日記を書きたいと思います。

2008年9月13日に、僕はロジャースワンと出会いました。新川崎の市役所へのバスの隣の席に、彼が座ってきました。「やあ」と僕は言いました。「僕はシアトルから来た。君は?」

「僕はミシガン州からきた」と彼は言いました。「シーリアルの生産が有名な町から」

これが僕とロジャースワンの出会いです。市役所で書類が延々と渡されるうちに、ロジャーが僕たちの新川崎にある「プラムイズ」という小さな寮の隣の部屋に住んでいたことが、分かりました。ロジャーは僕と同様に、お酒を飲んだことも、麻薬を用いたこともありませんでした。国際的なプラムイズでは、これはかなり珍しいことだったから、僕とロジャーはすぐ仲良くなり、毎日言葉を交わすようになりました。新学期が始まる前に、ある日、ロジャーの声が窓の外から僕の部屋に漂ってくることを覚えています。なんだろうと思い、ベランダに行ってロジャーの部屋を覗き込んでみました。すると、この動画の撮影を中断してしまいました。



これは僕が出会った、正に弟のような、ロジャースワンです。彼は情熱的な青年で、エルトン・ジョンの音楽を聴くにしろ、ドリームキャストの中古ゲームを集めるにしろ、多くの人々に白目で見られながらも自分のカメラにまともに話し掛けるにしろ、かっこいいと自分なりに思ったことを一生懸命やりました。常にロジャーの声には僅かな緊張の現れがあったものの、彼は自分の情熱を一切隠そうとしませんでした。この人は僕が出会ったロジャースワンです。ところが、2007ー2008のプラムイズの居住者、または当時の慶應大学の初級日本語講座のメンバーが声をそろえて主張ように、この人は昨日他界したロジャースワンではありません。

そう、僕たちは授業も一緒でした。しかも、一日5時間、週に5日、5ヶ月ごしで僕たちは同じがくがくした机に向かって勉強していたのです。僕は勉強に余念がなく、授業が始まる20分前に既に教室で予習をしていました。しかし僕が教室の扉を開く度に、ロジャーはもうそこにいて、一人で勉強したり、小さな声でカメラと話したりしていました。先生に指名された時、彼は自分の最初の動画のあの神経質な声で答え、みんなを笑わせてくれました。この人は僕が出会ったロジャースワンです。ところが、昨日他界したロジャースワンではありません。

「お疲れ!一緒に銭湯に行かないか?」と僕はロジャーに尋ねました。「や、やめとくね。ありがとう、ケビン」彼はいつもそうやりました。誰かと話している時に、最後に必ず名前を言ってくれました。ありがとう、ルーク。久しぶりだね、クリス。おお、アンドルー。いいよ、ジェン二ー。そのおかげか、最初の一ヶ月も経たないうちに、みんなはロジャーのことをよく知っていました。「ロジャーと会った?」「あ、あの何か、すごく素直なやつ?」「そうそう、でも彼は全然普通だよ。超話しやすいし」「本当?」


本当です。寮の誰よりも、ロジャーは人懐こかったです。おそらく、ビデオブログのおかげだったのでしょうか。直接彼と話さなくても、みんなは彼のあらゆることを知っていました。何しろ、毎日彼は自分の生活を録画し、ユーチューブを通してそれを世界に見せていました。だからプラムイズの狭いエレベーターから降りてばったり彼に会った時に、話すことがいつもたくさんあり、何かを隠す理由なんて、どこにもありませんでした。「おぉ!こないだの横浜の動画見たよ!かっこよかったな、あれ」こうして、徐々に、一人ひとり、寮の居住者はみんなロジャーの動画を見るようになり、彼の潔白な情熱を楽しむようになりました。



それで、ロジャーは寮の居住者によく誘われるようになり、自分の居心地の良い場所から少しずつ外に出るようになりました。「やあ、ルーク。元気?」「うん、今ロジャーと銭湯から帰ってきたとこだ」ロジャーだと?僕は自分の耳を疑いました。「撮影、しなかったよな?」「はは、してない、してない。全然普通だったよ」僕にとってその知らせは晴天の霹靂でした。一週間後、シェービングクリームがなくなったため、僕は隣のロジャーの部屋に借りに行きました。彼はドアを開けて、僕に数日後の誕生日パーティーの招待状を渡しました。そこで初めてお酒に触れたロジャーは、なんかの蓋が取れたかのように、果てしない思いやりをみんなに回してくれました。

みんなは東京スワンの新たな顔を楽しみました。そして、その顔は去りませんでした。ロジャーはどんどんプラムイズの居住者と一緒に渋谷に出かけたり、日帰りでお台場に行ったり、ポケモンの本部を訪問したりするようになりました。調度その時、僕は自分のクリスマス予定について、ロジャーと話し始めました。

当時に、僕は東京に住んでいた女性と付き合い、彼女にいつまでも忘れられないようなクリスマスプレゼントをあげたいと決めました。一度も付き合ったことのないロジャーは、最も相談にのれそうにもない人でしたが、彼は一番適切でロマンチックなアドバイスを持っていました。ロジャーは僕が彼女のために書いた小説を何度も添削してくれた上に、何のおとがめもなく、一年分と思われる印刷インキとペーパーをくれました。これは僕の、決して忘れない、ロジャースワンとの一番好きな思い出です。ページをめくって喜びで沸き立ったロジャーの顔は、彼女に本を渡した時の反応よりよほど生き生きして美しかったです。また、僕じゃ思い付けなかった、ロジャーの最後の仕上げが、涙が溢れるほど彼女を感動させたのです。この人は僕が出会ったロジャースワンです。ところが、昨日他界したロジャースワンではありません。

ロジャーがあれだけ恋のアドバイスを教えられたのは、やはり、ロジャーも恋に手を出していたからです。プラムイズに住んでいた好きな人のために彼がやったことを耳にすると、僕は生まれて初めて、思わず女らしく「かわいーーー」と呟きました。ロジャーは人を笑わせることより好きなことがなかったし、誰かを笑わせるために、いつも全力を尽くしました。そんな彼の必死な姿を見ていると、僕たちみんな、笑わずにはいられませんでした。

その後、友達と家族と会うために、ロジャーは二週間ほどアメリカに戻っていました。再びプラムイズに着くと、彼は僕のドアをノックし、そして僕たちは最近のことを長く話し合いました。「ケビン」とロジャーは言いました。「僕は人間として色々と成長したい。ケビンって結構運動とか栄養とか詳しいから、時間あれば少しアドバイスしてくれる?」僕は彼を見て笑いました。「もちろん。というか、髪切った?後、そのコート新しくない?超似合ってるじゃん」

ロジャーは健康をはじめとして、自己改善に精を出し始めました。プラムイズの代表として言わせてもらいますが、東京暮らしが長くなるにつれて、みんなは大なり小なりファッションを気にするようになりました。しかし、ロジャーの場合は異常でした。パジャマからピー・コート、ごちゃごちゃの髭からゴーティー、乱れた髪からモヒカン。気づかないうちに、僕が出会った引きこもりのロオタクが、慶應大学の劇のサークルのお洒落なイケメンになっていました。東京に住んでいる間、僕も成長し、自分が大人になっていくのを、毎日つくづく感じていました。でもユーチューブを通してにしろ、実際に見るにしろ、どんどん成長していくロジャーを目の前にし、まるで夢を見ているかのようでした。ロジャーのユーチューブの登録者はもはや1000人を超えていたし、数えきれないほどのコメントに押し寄せられていました。寮のみんなは人気者となったロジャーの最新ビデオブログをいつも楽しみにしていました。ロジャーは自分のビデオブログを通して、多くの人々を感動させ、ユーチューブの「旅行とイベント」のページで何回もフィーチャーされました。彼の誠実で勇気に満ちたスタイルは全ての視聴者の心を奪いました。彼は、一片の尊大もない情熱を創造しました。それは、実に素晴らしいものでした。

結局、僕は寮を出て新しいホストファミリの家に引っ越しました。ダンベルと高そうな洋服に満たされた何個かのスーツケースを新川崎から蒲田に移すのに、ロジャーとルークは手伝ってくれました。その時も、ロジャーはカメラを手にし、その煩わしい思い出をユーチューブにアップしてくれました。三人で甚だ遠く感じる新川崎駅まで荷物の山を引きずったのを、僕は決して忘れない。ホームステイのお母さんが彼らのお腹を温かい焼きそばでいっぱいにするまで、ロジャーとルークはぶつぶつ言いながら、僕の荷物を運び続けてくれました。



その時から、僕とロジャーの道が一旦、別々になりました。ロジャーは留学生の中では、もはや芸能人に近い存在であり、僕は授業のかたわら、人材発見のインターンシップに取り組んでいました。嬉しいことに、僕たちはほぼ毎日授業で言葉を交わしたが、二人っきりで出かけて遊ぶことが少しずつ減ってきました。ばったり会った時に、何人の女性がロジャーに惚れたか、というようなふざけた話、または彼があの好きな人のためにやった慈しみ深い話を、いつも心から楽しみにしていました。

留学がやがて終わり、僕たちは一旦別れを告げました。平気だよ、またすぐ会えるからさ。2008年7月末に僕たちはそう言って、それぞれの実家に帰りました。プラムイズのメンバーの中で、僕はロジャーとしかメールしていなかったが、ロジャーは帰国してもみんなにメールを送ったのは事実です。メールを通してしろ心がこもった年賀状を通してにしろ、僕たちを魅了したロジャーの生活を、彼はまだ見せ続けてくれました。学生でいられる最後の年、僕はずっとロジャーとメールのやり取りをしていました。これは、「東京本棚」に至りました。

僕が2008年12月に自分のサイトを構造する時に、同じような興味を抱く、且つ情熱のあるブロガーを探しました。言うまでもなく、真っ先にロジャーを招待しました。彼が誠意を持って応じたのも、驚くことではありいませんでした。彼は直ち「Dogentricks.com」のためにブログと動画を作りはじめ、びっくりするほどの早さで新しい視聴者を寄せ集めてくれました。他の客員ブロガーと違って、東京スワン自身が、一周も欠かさずに日本の小説を評価してくれました。いくら有名になっていても、ロジャーはいつもちゃんとしたブログを書いてくれました。この人は僕が出会ったロジャースワンです。ところが、昨日他界したロジャースワンではありません。

2009年4月に、ロジャーも僕も、JETプログラムに受かり、僕たちの道が再び一平行しました。彼と僕は新たな日本の生活についてよく話しました。ロジャーは新しいビデオブログ、今度は「岩手スワン」を作る予定でした。僕は小説家になる決意を固めました。彼と再会することを心から楽しみにしていました。しかし、ロジャーの研修期間は僕のと違ったし、バイクで岩手まで行く余裕が見つかりませんでした。こうして僕は今机に向かって、人生で出会った一番素晴らしい男について最後の段落を書き始めるところです。

「トゥルーマン・ショー」を見たことのある方は、ロジャーの存在、また彼を知っている人にとってその存在の大切さを理解出来るでしょう。彼は、いつもテレビに映っていた、あの普通の男でした。そしてあの普通の男が成長するのを、私たちが見ました。彼が少年から立派な男になるのを、私たちが見ました。彼が成長するのを見たのです!昔の友情からであれ、同情から生まれる好奇心からであれ、私たちはみんなロジャーの動画にひき付けられ、私心のない彼の性格に魅了されました。そして、そんなロジャーが成長すればするほど、私たちはより深く惚れる一方でした。彼の正常性に惚れました。彼の温かい心に惚れました。世の中には、彼のような人がまだ残っているという希望に惚れました。僕が出会った人の中で、彼が最も普通、最も優秀な人でした。彼には隠すことや批判する考え方などが、全くありませんでした。彼は勇気を持って、自分の好きなことを大胆にやりました。彼は単純に愛に溢れていた、とても優しい男でした。彼はロジャースワンで、周りの人々にとって、煌めく光でした。

この人こそが、昨日他界したロジャー・スワンーー私たちが決して忘れることのない英雄です。

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ロジャースワンが他界されてから、今日で一周忌となります。

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