もし言語は人間だったら

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Jan 25, 2014 11:50
私は母語フランス語のフランス人だ。しかし、高校を卒業した直後イギリスの大学に入り、専攻として日本語を選び、日本へ留学した。大学を卒業し、イギリスで就職した。 ところが、去年仕事をやめ、日本語を磨くために、今通っている横浜の日本語学校に入学した。同級生のほとんどはアメリカ人だから、毎日日本語以外に英語を使う。

ということで、最近私とその3か国語との関係について、つい思案することが多い。フランス語、英語と日本語を次のように、大切な空間や人間に例えてみた。

まずフランス語は母語として、実家と父母に当たるに違いない。故郷を離れてから、慌ただしい大人の生活で忙しくなったため、実家に戻る機械が減ってしまった。やはり、フランスを離れた18歳からフランス語を話す機械はどんどん少なくなり、その機械を取り戻す見通しもない。それは仕方がないだろう。

また、電話で両親と話す時は、何を言えばいいかが分からなく、形式的でつまらない話にはまることが多い。

「しっかり勉強している?仕事はどう?ちゃんと寝る? いそがしそう。体に気をつけてね。」

あたかも干ばつのせいで細流になった川のように、フランス語はそのような平凡な話に限られているようになってしまった。より複雑な気持ちを表現しようとしたら、表現の可動範囲が狭くなったことに気がつく。

しかし、フランス語にはかけがえのない親しさが残っている。Lang-8で投稿を添削する時にそれがわかる。やはり、ネイティブしか持っていない自然さや正しさの感覚があるから、フランス語がとても上手な方の投稿を添削できる。それから、たまには、家族からうまい冗談を聞くときや、夢中でフランス語の小説を読むときに、久しぶりに近しい友達と会うような感じがする。

英語は、マイホームと夫に例えることができる。

英語が身についたのは、10代後半だった。高校時代に一人で趣味として学んだ英語は、「自分だけの言葉」だったといっても良いだろう。 そしてイギリスに引っ越してから、初めての一人暮らしや、最初のボイフレンドや、初めての仕事など、つまり大人としての人生は全て英語を通じて経験したものだ。それゆえ、英語は自立感に強く結ばれている。誇りに思う自分なりのマイホームという空間に相当する。

未だ結婚していないが、英語を人間に例えたら、やはり夫だ。気に入った英語と長い間「つき合って」から、生活と将来を共にすることになった。最も身近な存在であっても、たまには小さな誤解が起こってしまう。しかし、この人のまだ知らない面を見出すことがあるからこそ、 愛着が深まるのではないだろうか。

ちなみに、フランス語か英語で話すことによって、声が違うと言われたことがある。フランス語の声はより高くて、子供っぽいということ。フランス語は本当に過去にはまっているようだ。

最後に、日本語は職場に当たる。若い時、大きな抱負を抱いてこの仕事を選んだが、最初の意気込みがゆらぐことが少なくない。こうした時に、仕事は面倒になり、日常生活の背景に潜んでしまう。「もし、ほかの会社に就職したらどうだろう」という空想にふけることもある。しかし、結局仕事のやりがいを痛感し、改めて頑張る時期が来る。

又、人間関係でいえば、日本語との関係は同僚との間柄に近い。仕事以外の話をする理由がそもそも少ないし、 楽しい人であっても、一日中仕事したあとは同僚と一緒に遊ぶより家に変える気がある。(つまり、日本語の勉強を終えたら、英語で遊びたくなる。)けれども、同僚との間柄は未だ親しいとは言えなくても友達になる可能性がある。日本語と親しくなるため、せっかくここに来たのだ。