「もの」と「こと」の違い(後編)

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Feb 18, 2015 23:05
「もの」と「こと」の違い(後編)

(私は日本語を母語とする者で、英語話者向けに日本語文法の解説をしています。この文章は、英語で書いた解説を日本語に戻したものです。日本語のネイティブの方にも参考になると思ったので投稿しました。日本語としての添削は、なさらないでください。コメントは大歓迎です。)

「もの」という言葉には、人の頭の中で変換されていないもの、という暗黙の了解があるようです。反対に「こと」という言葉には、誰かの頭の中を経由して何らかの変換を受けたもの、という意識があるようです。

「見る」という行為は、出来事をそのまま、人の頭を経由していない一次情報として受け取る行為です。ですから「面白いものを見る」のように目的語には「もの」が選ばれます。

「聞く」と言う行為は「見る」とは違います。伝えられる情報は一次情報ではなく、見た人の頭を経由して言葉に変換されたものです。ですから「面白いものを聞く」とは言えず、「面白いことを聞く」と言うのです。「面白いことを言う」、「面白いことを話す」、「面白いことを考える」なども、すべて同じです。一次情報でないので「こと」が選ばれます。

「あなたの意見には、なにか危険なものを感じる。」 I feel something dangerous from your opinion.
「秋が近いことを感じる。」 I feel autumn is coming.

「なにか危険なもの」は、話し手が直接感じた感覚です。「秋が近いこと」は、秋を示す兆候を感じた話し手が、判断を下した結果です。人の頭の中を通ったものか、そうでないものか、それが選択の基準だと思います。
Why should もの, not こと, be used as the object for the verb 見る?

I believe that もの represents a thing or an incident which is untransformed and こと represents an incident or a conclusion which is transformed by someone’s mind.

As for 面白いものを見る, we see things as they are without any transformation. As this is the nature of the verb “見る”, you cannot use こと as an object of it.

As for 面白いことを聞く, we hear things from someone’s mouth, which means that it has already undergone a transformation by the speaker. As this is the nature of the verb “聞く”, you cannot use もの as an object of it. 面白いことを言う, 面白いことを話す, and 面白いことを考える are the same as 面白いことを聞く.

「あなたの意見には、なにか危険なものを感じる。」 I feel something dangerous from your opinion.
「秋が近いことを感じる。」 I feel autumn is coming.

なにか危険なもの is a thing which is not transformed or rephrased. 秋が近いこと is a judgment which is concluded from several symptoms that tell you that autumn is coming, so it is regarded as transformed by the speakers mind.