カナダ物語94部

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Feb 25, 2011 11:31
カナダ物語94部
「カナダ連邦の戦」第三部

大西洋の植民地の中で、カナダ連邦に参加する支援がだんだん強くなってきました。プリンス・エドワード島植民地とニューファウンドランド島植民地はまだ反対でしたが、1866年に、ニューブランズーック植民地には、はカナダ連邦に支援する党が選挙で権威が手に戻りました。

一番激しい戦は、ノバスコシア植民地でした。[南の」ヤーマス町から「北の」シドニー市までいちいちの家の中で喧嘩がありました。ジョセフ・ハウー氏は、“反対側”のリーダーでした。沢山の皮肉的な記事を書くとカナダ連邦の提案を批判しました。記者ジョナサン・マクリー氏は、ケベック市から本社に帰ると、支持者になったからクビになりました。マクリー氏は、新しい新聞を発行し始めました。

もし、ノバスコシア植民地では、選挙があれば、絶対に反対側が権力を手にしたでしょう*。しかし、イギリス政府は、ノバスコシア植民地がカナダ連邦に賛成してほしかったです。やっと、ずるい首相チャールズ・タッパー氏は、計画を図りました。提案は、ノバスコシア議会がカナダ連邦の“一般考え”に対して投票で決めると、後、他の大会でケベック市の72条件よりいい条件に交渉することです。議会は、深夜で喧嘩したばっかりが、議会の投票が行われた時、タッパー首相と支援側が勝ちました。ジョセフ・ハウー氏は怒って、それを“ブラック・ミドナイト”(黒い真夜中)と呼びました。

*カナダの植民地は、イギリス政府の議会制度をもとで、5年間で首相が選挙を行うわなければらりませんでした。

1866年末、カナダ・イースト、カナダ・ウェースト、ニューブランズウィック、ノバスコシアの代表達は、イギリスのロンドン市へ出発しました。カナダ連邦の細目を決めるために集まりました。ウェストミンスター大会という会議では、ジョン・A・マクドナルドは、カナダ連邦のスターになりました。政治の名人で先見の明のある人でした。皆に説得する能力が強いし、ずっとライバル=ジョージ・ブラウン氏もマクドナルド氏が“岩のように固いほど冷静な人”と認めました。[他の政治家の味方]カーチエー氏と一緒にマクドナルドは、すべての会議の危機を乗り越えてカナダ連邦のプランを案内して完了させました。最後に、イギリス議会は“英国北米定法”を通過することは、新しい国を作ることです。代表達は、カナダの最初総理大臣はジョン・Aと決めました。

しかし、新しい国の名前は何と呼ばれるでしょうか?代表達は、「カナダ」に決めました。他の考えはアカディア[大西洋の地方の名前]、ブリティッシュ・ノース・アメリカ[英国北アメリカ]ホチェラガ[モントリオール市の先住民の前の名前]も提案されました。ニューブランスウィック首相レナルド・チルニー氏は、聖書を見ると讃美歌を見つけました:“彼は、地球の端まで、海から海まで、川から川まで、DOMINION (支配権)を与えられます。”その讃美歌を基でThe Dominion of Canada――現在カナダ連邦は生れました。

写真:写真を取るテクノロジーは初めに現れた時、モントリオール市の一番偉い写真屋さんウィリアム・ニューマン氏は、沢山の有名な人の写真を取りました。こちらは、カナダ連邦を作った人の一人ジョージ=エチエンヌ・カーチエー氏です

写真:カナダ連邦の生れの後で、皺(しわ)はないスーツが流行になりました。しかし、ノバスコシア州の偉い政治家・新聞発行者・偉いスピーチをするジョーセ・ハウー氏は、いつでも皺がいっぱいスーツを着ました。