カナダ物語90部

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Feb 23, 2011 21:18
カナダ物語90部
165ページから166ページ

行き詰まりを打開(1860年代)

ジョージ・ブラウンは、自分の新聞社も、若い家内アーンも、赤ちゃんの娘も、長老派教会も、自分の[現在オンタリオ州の」カナダ・ウェスト改革党“グリット”という党も好きでした。カトリック徒も反英国らしいものが嫌いでした。彼にとって悪いことは、[現在のクべック州」フランス系でカトリック徒のカナダ・イーストと合同することでした。*合衆国カナダの国会で、カナダ・イーストとカナダ・ウェーストは、ずーと喧嘩しました。両方は、お互いのプランや野心を遮りあいました。怒っていたブラン氏は、政治をやめたいほど、うんざりしました。

しかし、ブラウン氏にとって最悪は“トリ”という党(保守党)のリーダー=ジョン・A・マクドナルドでした。二つの党は、ずっとライバルでしたが、二人のリーダーは個人的に喧嘩しました。合衆国カナダの首都ケベック市の国会で、お互いに侮辱を言い合ったり、いちいちうるさくて口論しました。ブラウン氏は、同じな部屋でマクドナルドを見るのは我慢できませんでした。細くて威張っているマクドナルド氏の愛称は〝ジョン・A”でした。国会では、ジョン・Aが大体に喧嘩を勝ったので、ブラウン氏は、なおさら怒っていました。マクドナルド氏は、カナダ・イーストの“ブルー”という党(青党)のリーダー=エチエヌ・カチエーと仲良し、長年の政権を手にし続けてブラウン氏を締め出すことができました。


*“合衆国カナダ”――英語でThe United Canadasは、1791年、イギリス政府による創立された合同植民地でした。“カナダ”の領地から、二つの植民地を作りました。カナダ・イーストは、フランス系でカトリック徒の植民地、カナダ・ウェーストは、イギリス系でプロテスタント徒の植民地でした。カナダ・ウェースの多くの住民は、アメリカ独立戦争(1775年から1787年まで)の英国擁護派の避難民でした。1860年代までに、イングランドやスコットランドやアイランドから、たくさんの移民は、カナダ・ウェーストで住めつきいました。合衆国カナダの首都は、カナダ・イーストのケベック市にありました。

1864年6月に、ある蒸し暑い日、ブラウン氏は、合衆国カナダ国会で立つと提案しました。皆は、驚きました。ブラウン氏の提案は、自分のグリト党とマクドナルド氏のトリ党とカチエー氏の青党に協力することです。カナダ・ウェストのプロテスタント徒の応援者は、カナダ・イーストのカトリック徒のフランス系人と協力することです。さらに、ブラウン氏は、マクドナルド氏と仲良しになることを受けること発表しました。しかし、一つの条件はありました。いちいち喧嘩がやめなければならないと主張しました。カナダ・イーストとカナダ・ウェストの政治制度をやめると、一所懸命に協力すると統一英国北アメリカ連邦を作らなきゃならないと主張しました。マクドナルド氏もカーチエ氏も、合意しましたが、国連邦を作る前に、大西洋の英国植民地に説得しなければなりませんでした。ブラン氏の提案を発表してから2ヶ月後、カナダのリーダー達が、プリンス・エドワード島のシャーレットタウン市へ出発しました。大西洋の政治家の会議を開催することになりました。大西洋へ行ったことがあるカナダ人は少なかったので、ある政治家の言うことは、“その人々は、何の人かな...”

絵の下
1860年代、自分の写真を撮ってもらう時は、幾つの分で静かに座らなければなりませんでした。大体に頭を動かさないように“クビ支持器”を付けることは必要でした。たぶん、その理由に、ジョージ・ブラン氏の写真はいつも真面目で悲しそうな顔をしたでしょうか。しかし、本当のブラン氏は、情熱や怒りで湧いたりエネルギーいっぱいな男の人でした。

絵の下
ジョン・A・マクドナルド氏

写真:ブラン氏とマクドナルド氏

1791年の合衆国カナダに含む北アメリカの地図です。カナダ・ウェストはUpper Canada(川上カナダ)と同じです。カナダ・イーストはLower Canada(川下カナダ)と同じです。現在の名前は、オンタリオ州とケベック州です。
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