カナダ物語87部

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Feb 19, 2011 08:23
カナダ物語87部
ディスさんは、魚缶詰を作る。

黒人ジョン・サリバン・ディスの両親は、アメリカのサウス・カロライナ州で奴隷でした。若いジョンは、スズ細工職を勉強すると、1849年、ゴールド・ラッシのために、カリフォルニアへ行きました*。しかし、黄金を見つけずに他の黒人冒険者と一緒に北の方へ移って、1861年ごろ、ブリティッシュ・コロンビア植民地のビクトリア市で、スズ細工職人になりました。

*どうして南北戦争の前にジョンが奴隷じゃなく、どうやって自由になった説明はありません。

エドワード・スタンプ船長は、ニュー・ウェストミンスターの近くに、フレーザー川に沿って鮭缶詰工場を建ちました。川の中で鮭がいっぱい、スタンプ船長は缶詰を大量生産すると、世界中で売りに輸出する可能性と知っていました。スズ缶詰を作るために、ジョン・ディスを雇いました。突然スタンプが亡くなったので、ディスが缶詰工場を引き継ぎました。間もなく、植民地の一番大きくて賑やかな缶詰工場を経営していました。毎年、数千箱の「ジョン・デイスのフレーザー川の鮭」は、イギリスに送り出していました。

所有者は黒人、漁師は先住民、労働者はほとんど中国人、著しく国際的な会社でした。しかし、デイスも先住民漁師も中国人労働者も、差別のために大変にいじめられました。ジョン・デイスは、アメリカに帰って若くて亡くなりました。たぶん、スズ細工職の水銀毒の原因だったかもしれませんでした。新しくて大きい缶詰工場が建てられたが、フレーザー川の入江でデイスの名前が覚えられています。

スサン・アリソン
1860年、セイロン(現在、スリーランカー共和国)で生れた15歳のスサン・モイルは、両親と一緒にブリティッシュ・コロンビアへ引っ越しました。1868年、先の採鉱者で今牧場主ジョン・アリソンと結婚しました。他の開拓者は西カナダの内陸へ移る前に、アリソン夫婦が、ロッキー山脈のアリソン山道を越えると美しいシミカミーン谷に着きました。30年間その所で住んで、出火、ガラガラ蛇、乱暴な無謀者など朝鮮を取り組んだり14人の子どもを育ったりしました。

スサンは、バンクーバーで“野生で自由な生活”について本を書きました。“山の大男”や“オカナガン湖の怪物”の先住民の伝説を伝いました。

写真
スサン・アリソン、ジョン・デイスの鮭缶詰工場

[第六課、終わりです。
The Story of Canada前半翻訳完了です。
皆の訂正とコメントは、とっても感謝します。
後半に対して、よろしくおねがいします。]