カナダ物語86部

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Feb 18, 2011 19:21
カナダ物語86部
158ページから159ページまで
山と海

ゴールド・フィーバのために、1850年代から1860年代まで数千人の人はブリティッシュ・コロンビアに引っ越しました。わずかな数年でゴールド・ラッシュが終わったが、植民地は広がるつつあります。先住民は、60年間で開拓人の数でペストの病気なので、自分の土地の上に貧困な少数派になりました。1866年、ブリティッシュ・コロンビア植民地とビクトリア植民地は合併すると、一つの植民地になりました。本土の人は怒っても、(バンクーバー島の)ビクトリアの市は、合併された植民地の首都になりました。しかし、合併された植民地は “ビクトリア植民地”ではなく、〝ブリティッシュ・コロンビア植民地”と名を付けられました。

植民地の“父”ジェムズ・ダグラス総督は、引退しました。1864年、ビクトリア女王は、彼を騎士の使命にいらっしゃいました。1877年、ダグラスがビクトリアの市で亡くなりました。日本の明治時代になると、ロシア帝国とスペイン帝国の恐怖は、完全に消えてしまいました。残ったライバル=アメリカ合衆国は、仲良しでした。総督と植民地は、ブリティッシュ・コロンビアをさきの先住民だけやわずかな交換者の国から賑やかなイギリスの植民地に変えました。

1864年、ビクトリア市の人口は、6000人で、バーカービルの市は、ほとんど半分でした。すべての町々で新聞は出版されたり、ビクトリア首都で喧嘩ばかりな政治家がいました。(一番面白い政治家はウィリアム・スミスでした。大西洋のノバスコシア植民地からカリフォルニア州経でビクトリア市に着くと、名前をアモル・デ・コスモス――“宇宙の愛人”と自分で改名しました。)英海軍の艦艇は、ブリティッシュ・コロンビア海岸でパトロルしたり、世界中の貿易船は、港に入ったり出たりしました。タフなスコットランド人の石炭採鉱者ロバート・ヅンズムィールは、ナナイモという場所で石炭採鉱所有になってから一攫千金になりました。しかし、貧乏な採鉱者は危なくて深い採鉱でボス・ヅンズムィールを大嫌いで、いつも、もっとお金と安全設備を主張してストライキしました。

ニュー・ウェストミンスター市の近くブラルド・インレットという場所で、セウェル・ム―ディの製材所で、カリフォルニア州やチリやオーストラリアのために木材を切りました。よくしゃべっている“がッシ”ジャック・デートンのホテルの周りにガスタウンという村が出現しました。フレーザー川に沿ってジョン・デイスの缶詰工場は、イギリスの市場に鮭缶詰を売りに作りました。イェール町までに汽船がフレーザー川を走ったり、バーカービル町まで馬車がガラガラ動きました。1867年7月1
日、その場所で、カナダ人は最初のドミニオン・デイ(現在、カナダ・デイ)を祝ったり、アメリカ人は7月4日にアメリカ独立記念日を祝ったりしました。しあし、ブリティッシュ・コロンビアは、カナダも、アメリカ合衆国も、なかったでした。まだ自立のイギリスの植民地でした。

1863年、ジェームズ・ドグラスは「すぎの10年間は、何になるかな...」と書きました。「たぶん、英国領土の上に[北西海岸の]ジョージア湾から大西洋までの鉄道が作られるでしょうか」と。ブリティッシュ・コロンビアは、まだ海へ向かいましたが、内陸へ広がるとロッキー山脈を越えてのぞんで始めました。ロッキー山脈の反対側のカナダは、新しく深い興味で西の方へ向かっていました。