カナダ物語84部

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Feb 17, 2011 21:24
カナダ物語84部
[ブリティッシュ・コロンビア植民地]
156ページ

ダグラス総督は、黄金畑に法律と治安をさせました。すぐにカリフォルニア州から着た乱暴なアメリカ人も、フレーザー川に沿ってビクトリア女王に三唱万歳を叫びました。ゴールド・ラッシュの乱暴な新町に厳しいイギリスの法律をおさめるためにイギリスのべグビー裁判官が着きました。ある時、殺人容疑者は、審判に無罪と判決としたから、べグビー裁判官がとても怒って審判人に“お前たちは馬を泥棒野郎!容疑者じゃなくて、お前たちに首を絞首すればいいと思う!」と言いました。ほかの時、乱暴な採鉱者ネド・マッガワンは、ヒルス・バーという場所で国王だと主張してダグラス総督出ていけと言い張ったから、リチャード・ムーディ大佐の英国技師が、ヒルス・バーにひ入り込むとマッガワンにユニオン・ジャック(イギリス国旗)へ敬礼すると説得しまいました。

1859年、ムーディ大佐は、本土植民地の「ニュー・ウェストミンスター」という新首都のために森を取り除き始めました。英国技師も、川に沿って山に通じる道路を作りました。でも、一番大きなプロジェクトは、カリブー群までのグレート・ノース・ロード(大北西道)を作ることでした。採鉱者は、フレーザー川の川上からの黄金が着たと知っていたから、ずっと北の方へ進むと豊富な金鉱を探していました。1861年、イギリスのコーンウォール人の船員ビリ・バーカーは、カリブー群で黄金を見つけた。フレーザー川に対してゴールド・フィーバーが復活されました。ダグラス総督は、英国技師を650キロの山道を作りに送り出しました。イェール町からカリブー群の中央までに道は、岩から爆発しょうがなかったのです。

モントリオル市、トロント市、東カナダの数百の町にフレーザー川の黄金ニューズが広がりました。サイモン・フレーザの旅についてよみがえられました。前の毛皮交換社サイモン・フレーザーは、まだ生きて、[今オンタリオ州の]コーンウォル町に静かな生活を暮らしていました。“最少に黄金川を発見した人”としてもう一回有名になりました。カナダは西の方へ向かっていたから、フレーザーの息子に含めて人々は、東カナダの町や農業をやめて上陸か海でブリティッシュ・コロンビアの黄金畑へ出発しました。

絵の下
ある人は、カリブー群のドライな気候のために馬より当な採鉱動物はラクダが一番いいと思いました。あるラクダが逃げて野生になりました。しかし、寒い冬で生き残れませんでした。