カナダ物語81部

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Feb 11, 2011 11:51
カナダ物語81部
151ページから153ページまで
ブリティッシュ・コロンビアの父ジェームズ・ダごラス(第一部)
マケンジーやフレーザーの後で、探検者はモントリオール市から西部のニューカレドニア交換所まで長い旅をした人は少なかったです。その地方、毛皮を交換できたでしょうが、その場所で毛皮を運ぶことより海で送り出しやすかったです。ノ―ウェスター社もベイ社も海に沿って交換所を造り始めました。ペイ社は、コロンビア川の入江の近く交換所を建て、海岸に沿って船を出発させました。コロンビア川の入江から、広東やロンドン市まで海を渡って進みいました。

スペーンは、もう北アメリカの海岸を出張しませんでしたが、アメリカ合衆国はライバルとしてだんだん強くなりました。アメリカ人の開拓人は近くのオレゴン地方に入り込んでいました。彼らは、ベイ社の要塞を追い出したかったし、ずっとアラスカのロシア交換所まで北の方へ狙いました。イギリス政府は、たぶんロシア人とアメリカ人が北緯度54°40に会うと、イギリス植民地を脅かすか心配しました。

1843年、ジェムズ・ダごラスは、ベイ社の汽船「ビーバー」号に乗ると、バンクーバー島の南の港に入りました。その場所は、「完璧な園」だと思いました。そして、交換所を造り始めました。イギリスの若い女王の名前から、ビクトリア要塞を名を付けました。数年後、イギリス政府は、オレゴン地方をアメリカ合衆国に譲りました。しかし、海岸は、北緯度49°からロシア領土のアラスカまでイギリスの領土に残りました。ビクトリア要塞は、コロンビア川の交換所を取り代わってバンクーバー島という小さい植民地の首都になりました。1851年までに、ベイ社のバンクーバー島の管理者ジェムズ・ダごラスは、女王様の王総督になりました。

愛称“古くて四角いつま先”は、冷たくて、かたくて、打ち解けない性格で少ない友達がいました。しかし、皆が彼を尊敬しました。十代から、ずっと毛皮交換者でした。今、ほとんど50歳でした。背が高くて、力いっぱいで笑顔はなかった人でした。多くの開拓者のように、遠いから来ました。カリブで生れて、スコットランド人父親は大農園の所有者で、母親のアフリカの祖先は奴隷でした。ベイ社に入ると、ハーフ先住民の女の人「アメリア・コンノリ」と結婚しました。たくさんの毛皮交換者と違って、お金持ちで大切な人になると離婚しませんでした。ダゴラスは、自分の家系や妻の家系を侮辱を許しいませんでした。

写真:ジェムズ・ダごラス