カナダ物語80部

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Feb 11, 2011 10:44
[ごめん、前のポストは、間違って消してしまいました。書きなおしました。]

カナダ物語80部
149ページから150ぺーじ
デ―ビド・トンソン:西部の地図を作る人。

ブリティッシュコロンビアの山々が水平を遮断するから、デ―ビド・トンソンは、自分の立場を図るために“人工水平”を作りました。鉄瓶から水銀を平らな盆に注ぐと完全な平な水面を作ると緯度を図ることできました。

後で、「私は、北アメリカで海から海までこの地方の地図を作った。」と書きました。「数えられぬほどの計算を通して、この大陸の北部の山や湖や川の立場を図った。」

トンソンは、アレクサンダー・マケンジーかサイモン・フレーザーのように一つの大発見をやったことはないんですけど、数年間ブリティッシュコロンビアの山々の迷路を発見をしました。他の人は、ただ山を通ったけど、トンソンは、山を分かるように頑張りました。

トンソンは、イギリスの貧しい男の子で14歳ハドソン・ベイ会社の雇い人になりました。大草原で、先住民のクリー語とペイガン語を習いました。先住民を尊敬して、メティ人の妻シャーロットと一緒に60年間喜んで暮らしました。しかし、毛皮交換者としておかしかった人でしたです。絶対に酒を飲まずに大変宗教的なキリスト教でした。

1790年、ベイ会社のカンバランド・ハウスという交換所で、折った足と目病気で治る時、20歳のトンソンは、地図作りと地理測量を勉強しました。ベイ社のために測量をした。後で、ノ―ウェスター社(北部会社)に入って、スぺリアー湖から太平洋までの広々の地方を発見して地図を作るために出発しました。地図作る人として引退するまでやめませんでした。

1857年、トンソンは亡くなりました。死んだ時は、目が見えなくて忘れられたお年寄りの人でした。晩年の時、西部の旅についてどこに行っても細かく書いた日記のもとで本を書こうとしました。これは、1797年12月の今南西マニトバ州という地方の吹雪に巻き込まれた彼と探検団の描写です。

「午前7時半出発した。犬は元気でずっと歩いた。柔らかい南の風が吹いて、だんだん強く10時までに大風になった。暗くなってコンパスを絶対に手から離さなくて、風を信用できなかったから。正午は、吹雪だった。しかししょうがなくて進むしか他の道はない。雪は大変から進みはとてもゆっくりだった。夜になると、もうコンパスを見えなくて風を信用してしょうがない。雪ははちょっと弱くて小雨になった。しかし、天気はまだ悪くて暗かった。ある人は、その所で休めばいいと主張したが、我々は、明らかに山を登るから続くと決めて――神様に有難い――顔は小さいカシの幹に触ると、森の中にいると気がついた。すぐに火をつけて、地方は高層で皆の探検者が見えると思った。しかし、僕と一緒は馬を引っ張った一人の召使しかいなくて、他の人を心配で待っていた。30分の間に疲れた皆の9人がだんだん着いてきた。犬もそりも持ってきたが、一人の人と犬とそりはいなかった。そりや犬を探すのは意味はないが、どうやって人をさがすのか?困った。もっと30分を待って、やっと彼の声が聞こえたと思った。吹雪はまだ強かったけど、我々は離れて少し広げって、火から一番遠い人は、無くなった人の声がよく聞こえました。我々は、彼に進むと運んで連れて帰った。我々の命のために神様に祈ったりありがたいいらしゃった。彼の話は、弱くなって吹雪の中で何回も倒れて、最後に立ち直れなかったから、あきらめて吹雪で死ぬと思った。しかし、運がよくて頭をあげて火を見た、勇気が集まって雪の上で四つん這い、はいはいして、できるだけ聞こえるためにずっと叫んでいた。我々は、テントをカシの枝の上にかかると大雨やヒョウやみぞれから宿を作った。午後7時半、4℃、南の風邪。私は、何回も大変な嵐を乗り切ったことがあったが、これは今まで災厄だと思う。」