カナダ物語第41部

  •  
  • 117
  • 0
  • 3
  • Japanese 
Jun 23, 2010 08:03
カナダ物語第41部
84ページから85ページ
「イギリス植民地第五部」

紳士と総督

ニューブランズウイック植民地のカールトン副総督は、植民地を視察旅行から首都のフレデリックトン市に帰るたびに、騎兵隊がいつも観兵式場で検査のために整列しました。砲兵隊はいつも雷鳴のように礼砲で迎えられました。紳士とご婦人は、上品な洋服を着て、ごきげん伺いに行ったり、軍隊楽団は陽気な行進曲を演奏したりしました。皆は、アングリカン教会で歓迎式に進みました。それから、カールトン卿はロンドンに輸入された上品なマホガニーや水晶や銀で家具つきの豪華な邸宅に帰りました。召し使いは多かったのです。

副総督は満足でした。ただ数年前に、美しいセント・ジョン川に沿って素朴なアダディアの村からフレデリックトン市を造りました。フレデリックトン市は、英北アメリカの一番新しい植民地の一つニューブランズウイック州の首都として、ふさわしかったのです。ニューブランズウイック植民地は、1784年に英国擁護者が着た時、ノバスコシア植民地から造られました。プリンス=エドワード島は、もう自分の植民地でした。(1769年になりましたが、1799年までに、セント・ジョン島と呼ばれていました。)ケープ・ブレトン島(前イル・ロヤール)は数年間、別の植民地でした。1791年、ケベック植民地は、二つに分けられました。ほとんどフランス系の所は、“川下カナダ”になって、セント・ローレンス川上と五大湖の所は、“川上カナダ”になりました。*

*[コメント:今も、川下カナダ(ケベック州)と川上カナダ(オンタリオ州)と呼ばれていまあう。江戸は東京、信州は長野みたいのです。]

それぞれの植民地は、副総督がいました。英北アメリカの総督がトップでした。全ての副総督は強い権力を持っていました。王様の名目で、カナダを治めるために上陸しました。人々に従われることを期待すると思いました。*

*[コメント:時代の江戸日本は違うことがあるが、共通点もありました。イギリス王様は、将軍みたい。総督は大名、副総督は大名の目下みたいと思います。]

まだ歴史の浅いアメリカ合衆国では、普通の人が知事を選挙できました*。しかし、英北アメリカの副総督は、馬鹿な“ヤンキー民衆主義”を欲しくなかったのです。カールトン卿と他の副総督は、アメリカより、イギリスの治め方がはるかに良いと思いました。1790年代、川上カナダの副総督のJohn Graves Simcoe(シムコー)は、アメリカ人を、川上カナダに住み着くことを招待しました。人口が少ない川上カナダは、もっと人々が必要だから、シムコー総督は、イギリス系のカナダがいい所だと説得しようとしました。

[コメント:皆の普通の人が投票できたというわけではありません。その時代のアメリカは、先住民と黒人と女と財産はない白人でも投票できませんでした。]

[写真はジョン・グレーブズ・シムコー副総督です。]