カナダ物語28部

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May 27, 2010 21:18
カナダ物語第28部
「毛皮貿易」 
62ページから63ページまで
1650年~1750年

毛皮貿易の最初時代では、毛皮がいっぱいでした。毎春、ボヤジュール(先住民と貿易上に旅行する人)がモントリオール市から、供給と貿易品物に満ちたカヌーの中で興奮して出発しました。激しいオタワ川とフレンチ川に沿うとフロン湖まで進行しました。毎日18時間カヌーを漕ぐと、一カ月後6月にミチリマキナク貿易所に着きました。ある貿易者がその所で毛皮を交換して、秋の豊作式上に速くモントリオール市に帰りました。

しかし、あるボヤジュールが早く家に帰って、冬中で塩豚肉を食べる人を蔑視しました。その人は「hommes du nord」(北の男)。その人にとって、ミチリマキナクは出発の最初だけでした。冬までずっとカヌーを漕いだり激しいスペリオル湖と寒い川を渡ったり進行しました。冬に来ると北の方の湖にテントを張りました。何年間モントリオールから離れて遠い先住民部族に出会ったり、ハドソン湾のイギリス貿易者の毛皮を盗んだり、野生の国で暮らしたりしました。たくさんのボヤジュールは先住民の女と結婚して毛皮貿易先住民部族に加わりました。

ボヤジュールはもっと毛皮を探し北アメリカ中に広がりながら、一つの考えが残りました。ヘンリー・ハドソンとサムエル・デ・シャンプレーンのように、太平洋までの道を探すことでした。一番探索者はスペリオル湖の貿易所を経営したPierre de la Vérendrye (ピエル・デ・ラ・ベレンヅリ)でした。彼はカナダの大草原が太平洋海岸までに続くと思って1729年、太平洋まで行くつもりでした。彼は貿易者クリー人(先住民部族)のアウチャガに大草原の道について尋ねました。アウチャガは地図を描いて、ベレンジェリが出発しました。

ベレンでリと息子たちはスぺリオリコ湖の西の川と大草原を探索するのは何年間を過ごしました。たくさんの先住民の部族に出会ったりと草原の要塞を建ったりしました。しかし、ベレンデリは太平洋が草原の終わるところにないだと、気が着いたものです。大草原の後ろはロッキー山脈があります。彼は山々にも着きませんでした。しかし、全ての発見された場所から、たくさんのビーバー毛皮で満ちたカヌーをモントリオール市にいつも送り出しました。

1700初年代までに毛皮貿易範囲はモントリオール市から北西の大草原までに、南西のルイジアナとミシシッピ川口までに広がりました、たくさんの先住民部族(オジブワー人、アシにボイン人、ウイニベご人、クリー人など)の縄張りに広がりした。先住民がビーバーを狩りして貿易所までに持ってきて、ボヤジュールと貿易しました。貿易所は貿易者とボヤジュールにとって雨宿りでしたが、その場所は要塞があって総督による兵隊に守られていました。この兵隊が貿易営業に頼りされている先住民部族長に、贈り物と国の契約を提案しました。ニュー・フランスの影響は半分の北米国にわたりましたのに、カナダは、まだまだ先住民の国でした。

上の絵
ピエル・ラディソンとメダルド・グロセイエはイギリス商人に、ハドソン湾の周辺にたくさんの毛皮を見せることです。1668年、グロセイエがノンサチ号という船に乗って、ハドソン湾までに航行しました。おびただしい毛皮を持って帰るばかりに、ロンドン市の商人がハドソン・ベー会社を創立しに説得されました。

上の絵
ピエル・デ・ラ・ヴェレンヂレは“栄光な西海”を探し始めた時、ロッキー山脈は邪魔するとぜんぜん知りませんでした。