カナダ物語25部

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May 25, 2010 07:08
カナダ物語第25部
「ハビトン、第二部」 
57ページから58ページまで
1650年~1700年まで
ニューフランス植民地の社会

ニュー・フランスに農民の生活は苦しかったが年がたつにつれて易しくなってきました。ハビトン(住民)が子供と一緒によく教会で集まると洗礼式や結婚式を祝いました。馬車に穀物を乗せて製粉場まで運転しました。夜、活発に踊ったり物語を話し合ったりする時、兵隊とフィー・ヅ・ロア(フランス人の女)の子孫が自分で建てた愛された家と栽培した豊作について誇ったでしょうか。

ニュー・フランスで皆農民ではありません。モントリオール町を創立者が由来に宣伝者で教会を建てるつもりでしたが、(先住民の)イロコイ人の戦争に巻き込まれて、やっとモントリオール町を賑やかな市場の町に変身しました。モントリオール町は毛皮交換の枢軸でした。下町で商人の倉庫とボヤジュール(先住民と貿易する人)に好まれた居酒屋が多かったのです。

その時、サムエル・デ・シャンプレーンに創立された植民地のケベック町で、倉庫と波止場がいっぱいです。本国から貨物を載せた大型帆船と一緒に人も報道も来ました。たくさんの小さいボートが高速道路の川の上で動きました。着いたどころの危ない大西洋を渡った船員が神様と聖者に拝むために「セント・アンヌ・デ・ボープレ」の神社に来ました。

下町に石の建物がありました。店で貴族的な客様が銀細工師に入ったり、上品なかつらを作ってもらったりできたでしょうか。神学校で若い男性が神学とラテン語を勉強しました。女修道学校で若い女性があまり神学とラテン語を習わなく、家庭能力を勉強しました。全ての学校は教会関係でした。しかし、女修道学校が多かったから、ニュー・フランスで男より女がよく教育されました。教会で合唱したり、兵隊が通りを行進したり、たいへん働かされた奴隷と召使が用事をしたりしました。貴族にとってケベック町は優雅な所でした。ニュー・フランスの総督はチャットー・セント・ルイス場所で持て成した時、ほとんどルイ14世国王のベルサイユ宮殿の舞踏のように、皆が絹やレースの上品洋服を着て遊びました。

ニュー・フランスの総督は国王の代理でした。しかし、ルイ14世国王は賢かったです。よく総督を支配しました。植民地を納めるために手伝う「管理官」を送り出した。管理官の同意がなければ総督は無力でした。二人は協力すると力持ちになりました。国王の権力はフランスで専制的のように、総督と管理官がニュー・フランスの植民地を納めました。その二人はニュー・フランスの人々の父みたいと思もいました。ご家族の父のように愛情に満ちたけど厳しくなった方がいいと思いました。

上の絵「ケベック市」
ケベック市の川岸の近く、プラス・ロヤールという場所の中央に「ノートル・ダム教会」がいます。1690年、総督フロンテナックがイギリス軍隊を負けさせた時「Notre-Dame-de-la-Victoire」(勝利のノートル・ダム教会)と名を付けました。1711年、もう一回イギリス軍隊がニュー・フランスの首都を取ろうとした。もう一回失敗しました。教会は [Notre-Dame-des-Victoires](いくつの勝利のノートル・ダム教会)を改名されました。

今、教会の周りに18世紀の港の家と店と倉庫が残ります。[よく維持されました。] プラス・ロヤールはニュー・フランスの栄光時代のように似ています。プラス・ロヤールの上にそびえて、壁に囲まれているケベック市が世界遺産に認定されました。