カナダ物語 第五章 142ページから144ページまで

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Feb 13, 2014 08:52
「鮭の人々」

北アメリカの先住民の中では、北西カナダ海岸の人々が独特でした。山や深い谷を刻んだ川の世界に住んで――島々や湾やとっても険しい側の峡湾の国でした。太平洋から大きいな雲が到来するので、木が生い茂っていました雨林が繁栄するという不思議な国に住んでいました。とっても大きいなヒマラヤスギや一1000歳の松が100メートルに達成して深いシダやサラル(英語でsalalという植物類)やブルーム(英語でbroomという植物類)を覆いました。

湾や川に生き物が多くすんでいました。海でオヒョウや鯨やアザラシやラッコが泳いでいました。干潮の時はいつもたくさんの甲殻類が岩や礁の上に多く残りました。夏で太っている鮭が川上を泳いで進んでました。鮭は卵を産むために海から故郷の小川へ帰り、一生を終えます。そのとき、まるで魚の背中の上、人が川を渡れるほど鮭多いということです。

海岸の人々は雨林と海の宝物で政経をたてていました。高くて赤いヒマラヤスギを倒したり割ったり、板や丸太から強い木材の家を建築しました。家族のお守りの幽霊を尊敬するために家の前にトーテムポールを作ったりしました。偉い人は、とっても役に立つ物を刻みました。ヒマラヤスギの木材でできた匙、箱、かご、碗などを作ったものです。編む人は、ヒマラヤスギの皮から布の種類を作りました。雨林の森で革が早く柔らかくて腐りやすいけど、ヒマラヤスギ皮の服や帽子が雨を吸収しなくてずっと乾いたままでした。

北西カナダ海岸の人々は、複雑なデザインを持っていた優雅なカヌーを作るためにヒマラヤスギの丸太をえぐりだしました。50人漕が入る一番大きいカヌーの中で、海の鯨を狩りました。カヌーも、ややこしい山の川の上で動くと冬の村から夏の釣り場所まで釣りや貿易するために移りました。

さらに、そのカヌーが戦争の乗り物でした。海岸に沿っていろいろな部族がいました。彼らは17個の言語をしゃべりました。戦争は普日常的に起こりました。スキーナ川の上で岡森の砦で住んでいたギックサン人のネクトという戦士がいました。クイーン・チャ―ロッテ島々[バンクーバー島の北の方]のハイダ人は、よく北や南を襲撃したものです。遠くても人々は、ハイダ人の長くて狭いカヌーを怖がりました。

大草原の先住民がバファローから、トウモロコシを栽培する人が豊かな畑から生計を立てられたように、北西海岸の雨林の先住民は、鮭から生計を立ちました。険しい山の谷で川が早く流れる時、数週間、銛や網で一年間分の鮭を捕まれました。よく鮭を干すと“スモーク・サーモン”を作る才能がえらいから、堅くてドライな獲物が一年中腐りませんでした。

絵の下:
画家ポール・ケーンは、大草原のバファロー狩人の絵のために有名ですが、北西海岸まで着いて「毛布を織るカルラム人の女」という絵を描きました。(写真が添い付いた)

絵の右:
1860年代、クイーン・チャロッテ島々のハイダ人の場所では、酷いペストに見舞われたことがあります。少ない生き残った人は、昔の故郷を放棄しなければなりませんでした。スキデゲートという村は、残った村の二つだけの一つです。1878年、科学者ジョージ・M・ドーソンがその写真を撮りました。
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