カナダ物語 第二章 30ページから31ページ

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Jul 15, 2012 13:27
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コロンブスの最初の遠征から五年、ジョン・カボットはイングランドのブリストル町からマッチュー号という船で出発しました。極東へ辿り着きたいので、もっと北方へ航行し、今、ニューファンドランドと呼ばれる島に上陸しました。 カボットは木が多い海岸に沿って航行しました。 かごを海に下ろすと、魚が獲れるほど、鱈がいっぱいいました。 イングランドへ帰ると、ヘンリ7世という国王からお金と船を賜りましたました。 もう一回新しい大地へと出発しました。 

イングランドでは人々が、帰ってくるのを待っていました。 しかしぜんぜん船は帰りませんでした。 二度とカボットが見られることはありませんでした。 どうしたのか誰もわかりません。

それなのにヨーロッパの商人は、鱈でいっぱいのかごを覚えていて、 カボットの運命に関わらず新しい大地に辿り着くために船団を送り出しました。 船員はいろいろな不思議なものもみつけました。

大きい黒い鯨と白いベルーガが飛び込んだり噴き出したりする海岸のところでは、岩で鳴いているセイウチやアシカ・トドやアザラシがいました。 白い雲のようなカモメの群れが崖の上で飛んだり鳴いたりしました。 島で飛べないウミスズメがよたよた歩いてしました。 川では鮭がいっぱいいました。 東の方には、ちょっと離れると沈んだ島があって、想像できないほどおびただしい鱈が泳いでいました。 数年間、毎春数百隻の船が新しい大地へと出発しました。

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船員は新しい大地にいろいろな名を付けました:ニューファウンドランド、テル・ネルブ、チエラ・ヌエバなど英語もゲール語もフランス語もバスク語もスペーン語もポルトガル語なども話されました。 今ラブラドルという場所[カナダ北東部の大半島]がポルトガルの発見者から名を付けられました。 そこはは釣で有名になりした。 ベル島にもケープ・ブレトン島にもたくさんの漁船が来ました。 それでも一番人気の釣りをするところは、ニューファンドランド島のたくさんの湾と港でした。 1538年ニューファンドランド島に着いたサー・ハムフリー・ギルベルトは「全ての国の人々がセント・ジョンズ港で集まる」と言いました。 彼は「まるで都市にいるように全ての食事と供給を買える。」しかし、セント・ジョンズ港と全ての港はただ夏に人々が居ただけです。 秋にはで漁師がヨーロッパまで大漁の魚を持って帰って港を放棄しました。

1534年フランス国王フランスワ一世は、漁師に人気なテル・ネルブ[ニューファンドランド島」に探検をするためにジャック・カーチエを送り出しました。 フランスでコロンブス後、スペーン人の「征服者」の話を聞いたことがあります。 その人はメキシコでアズテック黄金帝国を奪って、ペルーでインカ帝国を征服して宝物を盗みました。 か奥の方の国々でも、テル・ネルか略奪するための黄金帝国があるでしょうか? カーチエは北アメリカに航行しました。 どこに行っても探検して。セント・ローレンス川を探検する時、先住民に「国の名前は何ですか?」と聞きました。 答えは「カナダ」でした。 「カナダ」は地元の言語で「村」でした。 しかしカーチエは国の名前だと思いました。 それから"カナダ"が地図に貼られました。

絵の下1
どうして船員が道を探したの? 最近まで船は全部帆船でした。 船員は北極星を見ると北緯を分かったでしょう。 昼には太陽が図られました。 西暦1100年ごろコンパスは発明されました。 それから船はどこにでも直接の方向で進められました。 しかし東か西の距離を測ることは無理でした。 ヨーロッパからカナダまで行く場合は大地を見るまで西の方へ航行するしかありませんでした。 大地には近い一番のしるしは、鳥の群れや森の匂いか船員の勘でした。

絵の下2
大西洋のミクマク人の先住民は、ヨーロッパからカナダに着いた人に会った一番最初の一つでした。 文化に入った銃といろいろな品物を得るために毛皮を交換しました。 同様にヨーロッパの植民人が先住民のカヌーや雪の靴を使用して自分の文化に受け入れました。