「性本善」と「性向善」

  •  
  • 640
  • 7
  • 2
  • Japanese 
Aug 29, 2011 15:16

 『三字経』の始めは、「人之初,性本善」です。人間の始め、元々の素性は善だと解読されていますが、異議を提出する人が多いそうです。もし元々の素性が善だったら、なぜ善の教えを学び、自身の悪を改めますか。一方で、キリストの教えによると、人は生まれながらに罪ある者として人生を歩まなければならないからこそ、善を行っているでしょう。また、93年のアジア大学生ディベートでは、「人之初,性本善?性本恶?」をテーマにして、激しい論争の幕を開いていました。当時、「性本恶」の立場にいる复旦大学は、台湾大学を打ち負かして、ヤンピオンを手に入りました。

 実は、「性本善」の典故といえば、孟子の教えよりといわれています。孟子は古人といっても、彼の教えは今でも通じているから、宗教の教えより流行っています。だから、『孟子』の研究については、論争も続いています。孟子の「性本善」に対する解読もいろいろです。台大教授傅佩荣氏は、孟子の教えに基づいて、「性本善」ではなく「性向善」であると指摘しました。私は賛成です。どんな言葉でも、相対化に取り扱うべきだと思います。つまり、孟子の「性本善」はある条件によって成立する真理です。孟子は、知らない子供が井戸に落ちそうなのを見かければ、誰でも思わず駆けつけて助けようとするという「惻隠」(四端の心の一つ)が人間の本能によると言いました。理性的な思考を経ない行為には素性の善ではないでしょうか。

 人間と動物との区別といえば、理性的な思考ができることです。しかし、ある時、理性的な思考からこそ、自身の利益に拘り過ぎて、かえって善を抑えるのかもしれません。だから、善の教えを学ぶことは、「素性の善を抑えない」と、人間に注意を与えるでしょう。「性本善」より「性向善」のほうが孟子の本意だと思います。