省略ら的说法

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Sep 22, 2016 23:31
我在Lang-8,我把中国人写的文章想修改的时候,有时候会犹豫应不应该修改。
比如他们写的文章中看到“見れる”,这是否应该修成“見られる”。
对于这个不少日本人感到过麻烦,就是以“省略ら的说法”来成了一个问题。
今天,我在报纸上看到了提到这个问题写的专栏文章。
我们在日常会话中经常听见“見れる”、“出れる”。
但对这句话,正确的应该是“見られる”、“出られる”。
但随着时间的推移,日语口语的说法发生了有所变化。
有个文化厅调查过的统计。
现在的日本人,用“見られる”和用“見れる”的人数各半。
以前“見れる”是被视为错误的日语,所以学校的老师给学生纠正过。
但文化厅说,现在在这个情况下,用哪个都无可厚非。
我是受到学校老师的影响,现在也使用正式的用法。
其实“られ”,这个助动词原来比较复杂,有四仲用法,就是,可能、尊敬、被动、自发。
随便一提,专栏的作者说,太宰治、川端康成等连日本昔日的文豪写的作品中也看到“気の毒で見れなかった”,“すぐ食べれる”这样“省略ら的说法”的句子。
ら抜き言葉
私はLang-8で、中国人の書いた文を訂正しょうとする時、時に修正すべきかどうか、悩んでしまう。
例えば、彼らが書いた文中に「見れる」を見つけると、「見られる」に訂正すべきか否か。
これについては、少なからぬ日本人が煩わしいと感じたことがあるだろう。すなわち、「ら抜き言葉」として一つの問題となっている。
今日、私は新聞紙上にこの問題についてふれたコラムが目についた。
私たちは日常会話でよく「見れる」、「出れる」と耳にする。
しかし、この言葉は正しくは「見られる」、「出られる」とすべきである。
しかし、時とともに、日本語の話ことばに少し変化が生じた。
文化庁の統計がある。
現在の日本人は、「見られる」を使う人と「見れる」を使う人の人数は半分半分である。
以前は「見れる」は間違った日本語とされ、学校の先生は生徒に訂正させたものである。
しかし、文化庁は、今の状況下では、どちらを使っても良いだろうとしている。
私は学校の先生の影響で、今でも正式な方を使っている。
実際、「られ」、この助動詞はもともと比較的複雑で、四種類の用法があって、すなわち、可能、尊敬、受け身、自発、である。
ついでに一言、コラムの作者は太宰治、川端康成など一昔前の文豪の作品のなかにさえも、「気の毒で見れなかった」、「すぐ食べれる」、このような「ら抜き言葉」が見られる、と言っている。