人間らしいとは ー『火垂るの墓』を読んで

  •  
  • 22011
  • 0
  • 4
Feb 28, 2010 16:16 火垂るの墓 読書感想文

  この本を読んだきっかけはアニメの「火垂るの墓」である。テレビでそれを見て、兄の清太と妹の節子の深い絆に感動して涙がぼろぼろ出てきた。そして、あの痛ましい時代にたくましく生きている二人の姿を頭に浮かぶたびに、胸が張り裂けそうになってきた。この間、学校の図書室で当てもなく本を探していると、この本が目に飛び込んできた。初めて「火垂るの墓」の原作があることを知って、ぜひ一度読てみたい気持ちになった。
  本を読みおわった後、自分の気持ちは次第に変わっていくことに驚いた。
  以前アニメを見ていたときは、西宮のおばさんの姿を目に入るたびに、怒りがこみ上げてきた。なんと意地悪い人なのだろう、恩着せがましい態度でひどい思いを母の亡くなった兄弟にさせるなんて、まったく人間らしくないと思っていたが、本を進むにつれ、その考えは間違えだっだことに気づいてきた。むしろあの時代において、そのひどい仕打ちのほうが人間らしいのではないだろうか。ふと、夏目漱石の『こころ』に出てくる一節が思い出される。「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わんだから恐ろしいのです。だから油断が出来ないんです。」戦争が正にその「いざという間際」であるのではないかと思う。あの時代を生き抜くのに、人々は自分のことだけで精一杯だから、他人のことをとても考えてあげられなくなるのだ。それが人のせいではなく、戦争そのものが皆の心を意地悪にしてしまったのだ。戦争さえなければ、皆優しい人間なのに。
  それに、よく考えてみると、おばさんが清太を叱るのも当たり前のことではないだろうか。「清太さんもう大きいねんから、助け合いいうこと考えてくれな、あんたはお米ちっとも出さんと、それでご飯食べたいいうても、そらいけませんよ、通りません」一見して残酷な言葉だが、もっともなことを話していたのだ。世話になっているのに、二人は「ありがとう」も言わせずにいた。節子はまだ幼いので、わからなっかたのも無理はないが、兄の清太はわかるはずだった。しかし、働いてあげるどころか、感謝の気持ちさえも持たずに、ただ家にこもっていた。二人が母に死なれて確かにかわいそうだが、他人の気持ちはもっと考えるべきだ。世界で一人で住んでいるわけではなく、たくさんの人はお互いに助け合って、支えあっていくからこそ、この世を生き抜くことができるのだ。
  また、清太が節子に対する気持ちもつくづく考えされられた。アニメに出ていなかった場面だが、本の中にこういうことが書かれている。未亡人のおばさんが節子に泣かされ、大声をあげて二人を叱れた後、清太は節子を背負って夜道に出て、一瞬こう考えた。「いっそ節子さえおらなんだら」わずか一瞬のことにしても、清太は節子のことを負担だと思ったに違いない。それも人間らしいところだと言えるでしょう。私は人の心がどんなことがあろうと、決して揺れまいとは思わない。迷うことがあったからこそ人間なんだ。そして、迷っていたからこそ、本当に守りたいことや生きていく意味を見つけ出すことができるのだ。その証拠に、節子が死にかけていたとき、清太は「指切って血イ飲ましたらどないや、いや指一本くらいのうてもかまへん」と思った。
  作者はこの本を通して、単にたくましく生きている兄弟の話を物語っているだけではなく、人間の本当の姿も見せてくれたのだ。そして、アニメというものは人間の考える力を奪うものだと思うようになった。確かにこのアニメもすばらしかったが、やはり感情に直接入っていて、事実が見失われがちだと思う。
  このアニメが好きな方々にも、ぜひ原作を読ませていただきたい。


長々と失礼いたしましたが、ぜひ皆様のご意見を聞かせてください。
よろしくお願い致します
Learn English, Spanish, and other languages for free with the HiNative app